ホライズン・コミュニティ・チャペルの歩み
1991年 神の導き
“この川の流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。” エゼキエル書47章9節
H.C.C.は、塩島牧師がまだ中学校の教師であった1991年1月、主からエゼキエル書47章のみことばを語られたことから始まります。それは、聖霊の導きに応えて生きることを意味しており、一歩一歩その導きに歩むならば、今は自分の足で歩んでいる人生が、やがては自分が歩くことができない、コントロール不可能な生涯となることを意味していました。
1995年 開拓伝道
1995年、横浜市南区にある吉野町のあるワンルームに教会オフィスを開設。8月6日に第一回目の礼拝が行われました。ところが、開拓伝道と言っても、礼拝するための特定の場所も、そのための経済的な基盤も、経験もない、わずか4人足らずの人たちからのスタートでした。それはまさに何もない荒野で神に叫ぶしかない教会の始まりだったのです。 まず借りているワンルームマンションに、電話とファックスと机、そして椅子10脚を揃えました。また礼拝する場所がないので、公共の施設を月に2~3回コーラスの練習という理由で借りました。しかし、その場所を借りることができない日は、まさにイスラエルの民が荒野をさまよったように転々と場所を変えて礼拝をしました。
1996年 教会オフィスの移転
開拓伝道を開始後、主は与えてくださった下記の士師記のみことば通り、1ヶ月を経た頃には10名の礼拝者が与えられ、洗礼を受ける人々も恵みによって起こされ、ワンルームの部屋では礼拝後の交わりが困難な状態になり、私たちは神が次の場所に導いてくださるように祈りました。 すると礼拝のために使用していた場所に近い所に、今度は2LDKのマンションを借りる事ができ、それに伴う諸費用も与えられ、すぐにそこに移る事が出来ました。
しかし2年もすると、また黄金町の2LDKも手狭になってしまったので、主は、次にマンションの1階のテナントに導いてくださいました。 それは南太田にある15坪の場所でしたが、次の年の夏には皆が賛美すると、メッセージの最中には、冷房が全く効かないくらいの人数になっていました。
「ギデオンは、自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりにした。彼は父の家の者や、 町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行なった。」 士師記6章27節
1999年 井土ヶ谷に教会堂を借りる
丁度、そのとき、私たちは、出エジプト記を通して、幕屋を建てることを学んでいたところでした。 そこで私たちは、再びヨシュアが遣わした斥候のように、この主がご臨在を現すための幕屋となる場所を探しに行きました。すると、主が、不思議な御手をもって、1階で43坪ある場所に導いてくださいました。
「ギデオンは、自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりにした。彼は父の家の者や、 町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行なった。」 士師記6章27節
2001年 教会堂を購入
このようにして 主は、この開拓伝道を通しても、みことばの通りに働いてくださって、5年目に今の会堂に導いてくださり、またその1年後には、再び主が与えてくださったレビ記のみことば通りに六年目に祝福してくださって、この会堂を私たちに所有するように導いてくださったのです。
そして驚くべきことに、その会堂を購入するときに気がついたのですが、その場所の住所の番地は、47番だったのです。
「 あなたがたが、『 もし、種を蒔かず、また収穫も集めないのなら、私たちは七年目に何を食べればよいのか 』と言うなら、わたしは、“ 六年目 ” に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。」( レビ記 25章20~21節 )
今も、このH.C.C.は、このみことばに伴うしるしをもって、みことばを確かにされる主の働きを何よりも、大切にし、それを体験させて頂いている教会です。主の御名を賛美します。