牧師のプロフィール

牧師:塩島 一男(しおじま かずお)

横浜市立の小学校・中学校・高校を卒業し、大学卒業後、横浜市の公立中学校で教師として11年間勤務する。在職中から登校拒否や心の病のカウンセリングを学び、カウンセラ-認定資格を取得する。その後、東京ホライズンチャペル(平野耕一牧師)で2年4ヶ月間スタッフとして奉仕し、同時にホライズン聖書学院で学びと訓練を受ける。1995年8月から横浜市南区でホライズン・コミュニティ・チャペルとして開拓伝道を始める。

また聖書の学びをさらに深めるために、JTJ宣教神学校(岸義紘学長)、ホライズン聖書学校、及びCCBC(カルバリ・チャペル・バイブルカレッジ)で学びを終え、現在、横浜市南区井土ヶ谷にあるホライズン・コミュニティ・チャペルの牧師、ホライズン聖書学校の講師、JTJ宣教神学校のカウンセリングの講師を務めている。

【カルバリーチャペル・バイブルカレッジの修了証】

 

牧師に召された証:

深みに用意されている神の祝福


「 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「 “ 深み ” に漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。 」 と言われた。 」 ( ルカの福音書5章3,4節 )

このルカの福音書5章はペテロが召された時の出来事ですが、まさに私の人生に起きたことと重なります。なぜならキリストがみことばを語られている時、ガリラヤ湖の漁師であったペテロは群衆が押し迫るようにして聴いていたみことばには全く関心を示していませんでした。私も、聖書や教会とは 縁も、所縁もない人生を歩んでいましたが、主がそのような私を不思議な導きによって召してくださいました。

2021年、私は洗礼を受けて、ちょうど40年が経ちました。40年というと多くの人が思い浮かべるのはエジプトで奴隷状態であったイスラエルの民がエジプトを出て、荒野で過ごした年数と同じです。私は洗礼を受ける時、主からヨハネの福音書15章16節のみことばを語られました。

そして、その後、この語られたみことば通りの生涯を歩むことになりました。それは私が公立中学校の教師をしていた時、いつも学校に行く途中、聖書を読み、お祈りしていました。すると、その時、主ははっきりとヨハネの福音書6章27節に書かれている 「 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」 とある出来事を通して、はっきりと語られました。

このみことばを語られた時、私はまったく教師を辞めることなど考えてもいませんでした。しかし、主はこの みことば ( みこころ ) が成就するように、私に献身の道を開かれ、さらに開拓伝道に導かれたのです。まさに主がペテロに語られた通り、まさに私にとっては献身の道は 深みに漕ぎ出すこと でした。開拓伝道ですから、場所もない、人もいない、お金もない、経験もないという自慢できるのは無いことだけでした。あるのは主から語られたみことばのみでした。

しかし、主はこのように無いことだらけの私たちの教会に、六年目には会堂を購入できるように導いてくださったのです。その会堂を購入した時に、驚くべきことは、私をこのように導かれるために、以前、主が語られたエゼキエル書47章と同じ番号がその会堂の住所の番地だったのです。まさにペテロが語られた通り、主がこの深みに祝福を用意してくださっていたのです。

この祝福は主がこのペテロに目を留められ、彼の持ち舟に乗り込まれたことが始まりです。なぜなら、この出来事は主が “ ペテロの人生 “ に介入されたことを示しているみことばです。そして、そのペテロに、「 深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。 」 と言われたのです。

 しかし、ペテロはその言葉を聞いて、 先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。 」 と答えました。ペテロがみことばに全く無関心だった理由はたぶんガリラヤ湖でNo,1の漁師だと思っていたペテロが一晩中、漁をして獲れなかったために、その疲れと落胆の中にいたことは想像に難くないことです。

  しかし、主はそのような中にいたペテロに目を留めて、彼の持ち舟に乗り込み、このように語ったのです。なぜ主はこのペテロに関心を示されたのでしょうか?それはこのペテロが でも、おことばどおり、網をおろしてみましょう!」  と、この主のみことばに応えたからです。 ( このみことばによって、キリストに応えることがキリスト信仰 )

主は私たちの人生という持ち舟に乗り込まれて、私たち一人一人が主が用意している祝福によって、私たち一人ひとりを召された生涯を実現しようとご計画しています。この2022年、このキリストの再臨が近い兆候の一つ ( ルカの福音書21章10,11節 ) である疫病のコロナ禍の中にあって、私たち一人ひとりのために用意してくださっている祝福を体験するための歩みとなるように、お一人ひとりの上に、主の大いなる祝福と、その祝福を受けるための導きのために、お祈りしています。

TOP