聖書の “ 死生観 ” 人は死んだらどうなるの?

思想

誰にも、やがて“ 死を受け入れる日” が来ます。そして誰かの手によって葬儀が行われます。このことが自分の身に起こることを否定する人は、誰もいません。では、人間の死、さらには死後について、世界のベストセラーとも、言われている聖書はどう教えているのでしょうか?

生命あるものの中で、人間ほど、すばらしい内容は他に類を見ないと思います。それ故に、聖書には人間は決して“ 偶発的な進化の結果” によって地上に出現したのではなく、初めから計画的に、神の御手によって創造された存在である” と書かれています。

「 神である主は、土地(アダマ)のちりで人を形造り、その鼻に“ いのちの息 ”を吹き込まれた。そこで人(アダム)は“ 生きもの ( 神にあって生かされている存在 )” となった。 」( 創世記2章7節 )

このように人間は“ 土地のちりという素材で造られた肉体” と“ いのちの息を吹き込まれたという霊魂の部分” から構成されて、この地上に生かされているのです。肉体と霊魂は不可欠な関係で人間を育んでいます。この肉体と霊魂の両者が健全に機能し、活動しているとき、初めて人間は生きものとなるのです。

ところが、肉体が何らかの理由で損なわれると、肉体と霊が分離してしまうのです。人は、この状態を死と呼んでいます。その結果、「 ちり( 肉体 )はもとあった地に帰り、霊はこれを下さった“ 神” に帰る。 」( 伝道者の書12章7節 )のです。

それでは、死はどのように始まったのでしょうか?創世記2章と3章に明記されていますが、アダムとエバが、神の命令を破ってしまい、神に対して罪を犯してしまった結果、“神が決して計画していなかった死が人間にもたらされた” のです。その結果、生を受けたすべての人間が“ この死を受けなければならない宿命を背負うこと” になったのです。なぜなら死は、聖書が言っている通りに「 罪から来る報酬は“ 死 ( 永遠の滅び )” である。 」( ローマ6章23節 )からです。

しかし、この生を受けた人間の罪の結果である魂の死を解決してくださる方が ( キリスト教という宗教ではなく)“ 救い主イエス・キリスト” なのです。なぜなら聖書に「 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物 ( プレゼント ) は、“私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち” です。 」( ローマ人へ手紙6章23節 )と書かれているからです。

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